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フットサルと鴻城小の子どもたち~体育の言語化は、すぐれた教師の翻訳作業から~

フットサルと鴻城小の子どもたち~体育の言語化は、教師の動きを翻訳する作業から~



 札幌市立鴻城小学校の全校授業研究会に参加。
 ボール運動・ゴール型の授業参観と、話し合いの中での助言です。
 
 5年生の「フットサル」の学習だ。
 とても気持ちよく学習が進む。仲間を包み込むような、温かなぬくもりのなかでプレーが磨かれていく授業だ。こうした中で学ぶ子どもたちは幸せだ。
 このような雰囲気を創り出すうえで大きな役割を果たすのは「ことば」だ。

 試合の最初の「よろしくおねがいします。」
 失敗した時の「ごめん、ごめん。」
 失敗を見た時の「いいよ、いいよ。」
 こういった言葉が、体育館に溢れている学習は自然と温かい雰囲気になる。

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 一方、応援の言葉が少ないのが気になった。
 静かなのではない、言葉が少ないのだ。
 「がんばれ」「やった」「いいぞ」こうした声は頻繁に聞こえてくる。

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 授業後の話し合いで、その事が話題になった。
 これは体育学習における言語を磨く営みとも密接に関連していると思う。


 体育学習における教師のかかわりは、すぐれた「動きの翻訳者」であれ。

 
 子どもにかかわる時、常にそういう気持ちでいる。

 動きはその瞬間に消えていくものである。
 算数の学習における子どもの表現は、数や式となって残っていく。
 国語の学習における子どもの表現は、言葉となり残っていく。
 しかし、体育における子どもの表現、つまり動きは、その瞬間に消えていく。
 だから、教師は、消えていく動きを言葉に変え、子ども達の頭に残していくのだ。

教師の関わりは動きの翻訳者

 また、動きを生み出す感覚は、子どもの数だけある。
 例えば、ハードルを跳び越す時、ある子は「上半身を倒すように。」という気持ちで運動し、ある子は「振り上げ足を胸に引き寄せるように。」という気持ちで運動する。結果として同じ動きが現れるわけではあるが、もとになる感覚は異なるのだ。
 だから、教師は、それぞれ異なる感覚を読み取り、言葉に変えていく。

 それはまるで、様々な言葉を聞き取り、全部日本語に変換していく翻訳者の仕事に似ている。
 
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 教師の言葉が、子どもに伝わり動きが変わっていく。
 教師の言葉が、子どもに伝わり感覚が豊かになっていく。

 そしてその動きや感覚は子どもの中に言葉と共に蓄積されていく。
 しだいにその言葉は、仲間に、自分に投げかけられていくようになる。
 こうして体育学習における言葉は磨かれていくのだ。

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 一方、この翻訳作業であるが、一朝一夕に成せるものではない。
 毎日の練習が必要だ。そのポイントは、4つある。
 常に子どもの動きを見て、「数」「部位」「方向」「タイミング」を実況できるように試みるのだ。

「よし、いいぞ。この前より2回も増えたじゃない。」≪回数≫
「なるほどね、膝の動きがポイントなんだね。」≪部位≫
「さっきとは、走る方向が少し違ったようだけど、どういう意味があるの。」≪方向≫
「捕まっちゃったのは、いつもよりスタートが遅いからだと思うよ。」≪タイミング≫

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 鴻城小学校の子ども達はみな、笑顔で体育を学んでいました。
 教師の言葉が増え、子どもの言葉が増えると、笑顔ももっと増えるでしょう。
 
 気温も10度を切り、肌寒い札幌ですが、温かな気持ちをもらった授業でした。
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プロフィール

山形昇平

Author:山形昇平
北海道教育大学附属札幌小学校にて11年間教員として勤務、その後北海道コンサドーレ札幌への出向を経て、現在は札幌市内教員です。学級便り・学校便りの発信、育児・子育てへの提案、運動・遊びのアイデア発信をしています。お子さんの成長の一助となれば幸いです。

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